投稿日:2008-02-17 Sun
人間は「君子豹変す」でまったくもってあてにできない。そこでアイデンティティを徹底的に保つには、非常に強いイデオロギーが必要になった。それが唯一絶対神の宗教であったのではないだろうか?意識というものは、朝起きたときに自分が昨日の自分と同じと思う事。細胞のミクロレベルでは日々入れ替わっているのに自分は変わらないと思うのは脳だけである。
いやー不思議だ。
投稿日:2008-02-16 Sat
昨日、ボーリングをした。職場のレクレーションである。Re(再)Creation(創造)できたかどうかは分からないが。
そこで思う事が、やはり基本は大切だという事。私はボーリングに関しても素人投げである。プロみたいな回転はつけられない。まっすぐに投げるしか無いのでストライクかどうかは運任せ。しかし集中すればそれなりの高得点は出る。200近くもいくがそれを超える事は無い。
ボーリングを極めようとは思わないが、フォームや投げ方の基本ができていないともうひとつ上にはいかない。そういう意味では最初から中途半端にできるくらいなら、ヘタクソの方が良い。スノーボードも最初から中途半端に滑れるから遠回りして基本に戻った。ギターもそうだ。そう考えると最初から中途半端にできて結局は遠回りしてるなと感じた。
でもそれだけ人生に幅がある事を考えれば良いかなと思うようにしている。いろいろなことを多く考えることでも、山を登って結局は人と同じところのレベルに戻ってくる。結局は変わらないがジタバタするほうが人生面白いかなと。
投稿日:2008-02-15 Fri
フランシスコ・タレガとはフランシスコ・タレガ(慣用的にタルレガ、またはアクセント記号を重視してターレガとも。Francisco Tárrega, 1852年11月21日 - 1909年12月15日)は、スペインの作曲家・ギター奏者。
1874年にマドリッド音楽院に進学。豪商アントニオ・カネサの援助のもとに、作曲をエミリオ・アリエータに師事。1870年代末までにギター教師として立ち(門人にミゲル・リョベートとエミリオ・プジョルがいる)、定期的な演奏会も行なった。ギターのヴィルトゥオーソとして鳴らし、「ギターのパブロ・デ・サラサーテ サラサーテ」の異名をとった。バルセロナに定住して1909年に逝去。
タレガは、20世紀のクラシック・ギターを基礎付け、独奏楽器としてのギターに対して関心が増して行くきっかけを作った人物と見做されている。大ギタリストのアンドレス・セゴビアは、技巧がかったタレガ作品のほとんどを取り上げ、クラシック・ギターをヨーロッパ中のコンサートホールに送り込むのに多くのタレガ作品を利用した。
投稿日:2008-02-15 Fri
自由なるものの象徴を手にしている事は、自由さそのものを手にしているより幸福な事かもしれない。孤独なるものの象徴についても同じ事がいえる。
みんな本当は自由さなどは求めていない。求めていると思い込んでいるだけだ。もし本当に自由になったら困ってしまう。
自由になる事で不自由さを感じるように人間はなっていると思う。人はある程度不自由さの中に身を置くこと、つまり柵を自ら作り安心する。その柵は高くても低過ぎてもいけないのだ。
投稿日:2008-02-07 Thu
昨日は田舎の古い民家を改造した自然食屋で、妻と二人で夕食を食べた。うどん・そばがメインの和食の定食である。釜飯とうどん/そばのどちらかと、白和え、卵焼き、切干し大根の煮物と漬け物だ。シンプルで美味しい。特に白和えは、ゆずが入っているのか柑橘系の香りが食欲をいっそうそそる。昨今、食材も何が入っているか分からない時代だ。顔が見える地産地消の流れを地域でもっと大きな流れに変えていかなければならないと思う
△ PAGE UP


